田原坂を見渡す
田原坂を展望できる二俣台地の野戦砲台跡。
JR鹿児島本線と熊本市内へと続く県道田原坂線を挟んで、反対側には田原坂資料館が見えます。
西南戦争時、ここには政府軍の野戦砲台が置かれ、田原坂に陣地を築いた西郷軍に向けて大砲を発射していました。二俣台地にはこの他、2カ所の野戦砲台が置かれ8門の大砲が配備されていたといわれています。
現在は、芝生広場として整備されています。見晴らしのいい丘はピクニックに最適です。
二俣瓜生田官軍砲台跡の場所
ここには、車のほか玉東町ににあるJR木葉駅から30分ほどで歩いてくることができます。
二俣瓜生田官軍砲台跡と西南戦争
田原坂に布陣する西郷軍攻撃のために玉東町二俣台地に築かれたのが、政府軍の野戦砲台です。
二俣台地は田原坂のある植木台地と併行して南北方向に伸びる丘陵地で、木葉川が南北に流れる船底と呼ばれる低地を間に挟み、田原坂の西側に位置しています。
標高約100mで、田原坂(三の坂)との距離は1km未満。記録では三ヶ所の野戦砲台が築かれ、明治10年3月4日から3月20日まで政府軍の砲兵が布陣し、田原坂一帯を攻撃したといわれています。
調査の結果、大砲の発射に使用される摩擦火管という遺物が出土し、摩擦管が集中する部分に野戦砲台の痕跡と思われる遺構が見つかりました。
現在の地表面より20㎝程下位で確認された遺構は、不定形の硬化した地面に、幅16㎝程度の溝が二条東西方向に10m程伸びる形で発見されました。溝の中心軸の間隔は約84㎝、内輪間66~78㎝で、戦争で使用された四斤山砲の車輪の跡と推測されます。