薩軍三勇士の墓

西南戦争遺跡

薩軍三勇士の墓とは、上白木地区にある西南戦争で亡くなった薩軍兵士の墓です。
山野政治氏旧所有の地にあり、代々山野さんによって供養されてきました。
現在の墓碑は昭和63年に三州会によって建てられたもので、三人の位牌は山野家でまつられてきました。

三勇士の物語

ここに祀られているのは薩軍兵士、藤坂吉左衛門宗隆、伊集院義兼、山倉文左衛門義種の3名といわれています。
記録によると、明治10年3月10日、薩軍は木葉の官軍本営付近を襲う目的で一部の部隊を出動させました。
しかし、部隊は木葉からは遠い玉東町の西安寺付近で官軍と衝突。
この戦いで、薩軍萩原隊に10余名の死傷者がでており、藤坂らはその内の3名と思われます。
藤坂、伊集院は即死、。山倉は負傷し、近くの水車小屋にいたところを山野家にかくまわれ、
5月20日に落命したそうです。
山野家では、彼らを同家墓所に埋葬し、代々供養をしてこられたそうです。

平成20年代、山野家を訪ねたところ、毎月朔日には、煮しめを炊いてお供えしているといわれていました。
玉東町は、歴史が息づいた町です。

薩軍三勇士の墓の場所

〒869-0313 熊本県玉名郡玉東町上白木175
JR木葉駅から徒歩35分ほどです。駐車場なし。